長尾弘先生が話される"誰でも幸せになれる方法"をDVDにおさめました。仕事、人間関係、ストレス、お金、想念、カルマ、不安、怖れ・・・愛、感謝、よろこびの人があなたを必ず幸せに導きます。

旅のエビソード

イタリアでの忘れ難きエピソード

癒しの旅

肉体の限界への挑戦

 今からもう20年も前のことになるが、イタリアのジャベーゼという田舎町でこんな出来事があった。イタリアに着いてからというもの、長尾先生は連日の治療と講演で、そして私はその撮影と機材の移動で体は疲れ果てて極限状態になっていた。

それでも行く先々で難病・奇病の人が救われたこともあり、人々の喜びが体の疲れを癒してくれていた。

ジャベーゼの夜の治療と講演は地元のケーブルテレビの実況中継の影響で多くの人が訪れたのだった。午後5時から始まった治療は延々と続き、500人を超える人に治療を施し、最後の人の治療が終わったのは深夜の2時で、ホテルにチェックインしたのは3時近くであった。

ホテルの部屋に倒れるようにして入った私たち2人はある光景に出会ったのである。

深夜の騒ぎ 

 なんと、その部屋の中央にはベッドが一台しか置いてなかったのだった。傍らにはスプリングの固そうなソファー(とてもソファーとはいえない固い長椅子)が一台置いてある。

長尾先生はめざとくその状況を見、部屋に入ると同時に長椅子にどっかと座られ「はぁー、流石に疲れましたなー、横塚さん」とこう言われたのだ。

その時、私は「はい、そうですね、疲れましたねー」と答えると共に、機材を整理しながらこう思った。(これはいかんぞ、先生はこのソファーで寝られるおつもりだな)と。

(これは困った。なんとかして先生にベッドで休んでもらわなければ)と思いきや、長尾先生の方から切り出された。

「横塚さん、明日の朝も6時に出発ですから、もう今夜は風呂に入らないで寝ましょうか」と。
「そうですね、では休ませて頂きましょうか、先生。先生はどうぞそちらのベッドで休まれて下さい」
と私が言うと、先生は「いえいえ、私よりもあなたの方が疲れているはずです。あなたがベッドに寝て下さい。私はこのソファーで休ませて頂きますから」

いやはや、とんでもない展開になったものである。
私がやわらかいベッドに寝て、師を固いソファーに寝て頂くなどは到底できるはずもないのに「そうせよ」と言われる。

「あなたがどうぞベッドで寝て下さい」
 
「いえいえ先生がどうぞベッドへ」

「いえ、あなたが」

「先生が・・・・・・・・」

押し問答である。

その内に先生は長椅子に横になってしまわれた。
弟子がベッドに寝て、師匠を固いソファーに寝て頂くなどのことが出来よう筈もない。

もうこうなったら腕づくでも先生をソファーから引き離す以外に手立てはないと思ったが「絶対にこの場所を譲らない」とばかりにうつ伏せになられた先生は、頑なにソファーから離れようとされない。

やむなく先生の体を羽交い絞めにしてベッドから引き剥がそうとするが、先生は両手をソファーに回してベッドにしがみついてしまわれた為にどうしても離れない。
なんとしてもベッドから離れまいとする先生と、かたやそれを離そうとする私。

今日一日のハードな仕事で疲れきっているのに、深夜の3時にこの騒ぎである。
だからといって、このままでは先生をソファーに寝て頂くことになるから止める訳にもいかない。

最後に私は渾身の力をこめて、ソファーにしがみついた先生の体を持ち上げたところ、あろうことか椅子まで一緒に持ち上がってしまったのだ。
浮き上がったソファーはその直後に、ドタンッ と大きな音を鳴らして先生の体ごと床に落ちた。

愛の譲り合い

この騒ぎが隣の部屋に洩れたのは、同行した女性、Fさんがビックリした顔で部屋に入ってきたことで分かった。

組んずほぐれつして格闘をしている私たちを見たその女性はびっくりしたのか、いつになく険相な表情をして、大声で私に向かって一喝された。

「横塚さんっ!なにを先生とケンカしているんですかーっ!やめて下さいっ!!」

何を勘違いしたのか、先生と私がもみ合っているのを見たFさんは喧嘩をしていると思ったらしい。
いくらなんでもそれはないでしょう。尊敬する師匠を相手に喧嘩などする訳もないのに・・・・・。

先生と私はお互いの力を緩めて暫し顔を見合わせたあと、ビックリ顔をしているFさんの方を見た。

そして、ややもして先生曰く
「違うんですよ、これは喧嘩ではありません、愛の譲り合いです」
その先はみんなで笑い合い、先生がベッドに寝て頂くことで、この一件は落着したのだった。

先生の口から咄嗟に出た“愛の譲り合い”とは、なんと素晴らしい響きのある言葉だろうか。
長尾先生と行動を共にする時は、至るところで大きな愛を肌で感じることができた。

数ある奇跡は何処から来るのか?それは、普段の何気ない行いで心の泉に愛が満々と蓄えられているからだろう。
奇跡はそこから来るに違いない。

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